大阪花博から35年、久しぶりにあの地を歩いて
次の万博まで1年を切りました。賛否はあれど、関西が盛り上がることには素直に期待しています。
ふと思い立って、1990年に開催された「国際花と緑の博覧会(通称:大阪花博)」の会場、鶴見緑地を訪れてみました。ちょうど自分が20代の頃で、まだ景気もバブルの余韻が残っていた時代。いろんな会社から入場券をもらって、5〜6回は通った記憶があります。
園内に入ると、偶然にも「鶴見区だんじり祭り」が開催中。鶴見区は区政50周年だそうです。
園内を歩いていると、当時の記憶が蘇る…かと思いきや、風景がまったく思い出せません。まるで初めて来た場所のよう。
紫陽花はもう少し、という感じでした。梅雨は嫌いだけど、紫陽花は好きです。
バラ園のバラはちょうど見頃で、色とりどりに咲いていました。
風車も残っていました。4月上旬にはチューリップが咲いていたのかもしれませんね。
そして「登山」です。鶴見新山は、花博以前からある人工の山で、ゴミと土で作られた埋立地。かつては標高45mあったものの、地盤沈下で現在は39m。それでも大阪市内では10位以内に入る高さ。山頂からはあべのハルカスまで見えました。
園内をぐるっと一周して、最後はお馬さんと再会(?)。合計で一万歩ほど歩き、かつて何度も訪れた「思い出の地」をあとにしました。…とはいえ、ほとんど何も思い出せませんでしたが(笑)
ちなみに駐車場は南駐車場を利用。アルペンで1,000円以上の買い物をすると4時間無料(買い物しなくても2時間無料)。せっかくなのでコールマンの保冷バッグを購入して帰宅しました。

【こぼれ話】いのちの塔に残した名前
「いのちの塔」って覚えていますか?
あの塔には、未来に自分の名前を“永久に”残せるという制度がありました。 それを知った当時の自分は、若さと勢いで、当時付き合っていた彼女と2人の名前を登録しました。 まあ、ありがちな話です。「永遠」を信じたくなる年頃だったんでしょう。
それから何十年も経ち、その存在すらすっかり忘れていたある日―― 実家に「いのちの塔」から封筒が届きました。何か改修か、撤去か、そういった連絡のようで、 両親から自分の元へと転送されてきたのです。
その封筒を見た瞬間、なんとも言えない空気が部屋に流れました。 誰も何も言わなかったけれど、「何も語らない」という沈黙が、すべてを物語っていたように思います。
結局その封筒は、あまり中身を見ずにそっと捨てました。 見ればきっと、余計に空気が重くなる気がして。 永久に残すはずだった名前の通知が、こうしてひっそりゴミ箱に消えたのです。
でも、今でもふと思い出すことがあります。 あのこ、元気にしてるかな?と
思い出は薄れても、花博の空気はまだそこに
35年前の花博は、今となっては夢のあとのような存在。 でも鶴見緑地の空気感には、今も少しだけ、あの頃の「未来を信じていた日本」の気配が残っていました。
今の若い世代にも、少しでもあの時代の「熱」を感じてほしい。 次の万博では、また新しい「記憶」が生まれるのを楽しみにしています。
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