【昭和53年】小学生だった私が京都新聞に載った話と、当時の京都の風景

京都新聞市民版

【昭和53年】小学生だった私が京都新聞に載った話と、当時の京都の風景

昨年末に父が他界し、母から「ちょっと家の整理に来て」と言われて実家へ向かいました。
片づけをしていると、懐かしい新聞の束が出てきて……その中に、なんと私が掲載された記事が大切に保管されていたのです。

掲載日は昭和53年4月6日(木)・京都新聞 市民版
いま読み返すと恥ずかしいような、でも少し誇らしいような。そんな気持ちになりました。

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「私のてがみ」コーナーに載っていました

小学校4年生の頃に書いた投稿文が採用されていました。タイトルは「楽しかった家族ドライブ」。
家族で訪れた月ヶ瀬へのドライブの思い出を、当時の言葉で綴っています。

投稿文

春の午後、月ヶ瀬梅林に向かった家族ドライブの記録。歴史や風景を織り交ぜながら書いているあたり、小4にしては頑張ってますね(笑)。
「茶店でうどん食べたらよかったネ」なんてオチもあって、今読むと微笑ましくなります。

昭和の空気が伝わる記事たち

同じ紙面には、今では考えられないような記事や光景が並んでいます。
記憶が正しければ、学校の先生にタバコを吸われながら説教されたこともありました(時代ですね…)。

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ちなみにこの年に「羽束師小学校」と「神川中学校」が開校したそうです。
当時の運転免許更新は全員羽束師、今は京都駅前の更新センターができて便利になりました。

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為替レート:1ドル219円!

ドル円は219円。今と比べるととんでもない円安です。
この時代、ユーロなんてまだ存在せず、「マルク」「フラン」などが並んでいます。懐かしすぎます。

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不動産広告、縁日、赤ちゃんとお悔やみ欄まで

不動産広告には南区の物件も掲載。今と価格も内容も大違い。
縁日の告知もいい味出してますし、「赤ちゃん誕生」「お悔やみ」欄にはしっかり氏名・住所まで掲載されているのも、今では考えられない時代の感覚です。

不動産の広告 京都新聞市民版

おわりに

父の死をきっかけに、こんなふうに自分の原点を思い出す機会をもらえたことに、いまは感謝しています。
自分の書いた文字が新聞に載っていたあの瞬間、そしてそれを大切にとっておいてくれた親の気持ちを、しみじみ感じています。

実は…他にも載ったことがあります

実はこの新聞以外にも、人生であと2回ほど新聞に掲載されたことがあります。
どちらももちろん、犯罪ではなく(笑)、地元でのちょっとした出来事です。

そのうちの一つは、少年時代に取り組んでいた野球の大会でのこと。
詳しく書くと、当時の新聞を覚えている人には誰かバレそうなのでここでは控えますが、
自分の名前が活字になって、家に新聞が回覧された日のことは、今でも鮮明に覚えています。

新聞ってすごいですね。文字が残る。記憶が残る。
そして、親がそれを大切に残してくれていたことが、何より嬉しいのかもしれません。

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