豊国神社|家康に嫌われた文字と耳塚の真実(京都十六社朱印めぐり⑥)
続いても新熊野神社から歩いての御朱印めぐり。三十三間堂や京都国立博物館を横目に通り過ぎ、石垣沿いの道を進むこと約15分、豊臣秀吉公を祀る「豊国神社」に到着しました。

鳥居をくぐると、堂々とした佇まいが目を引きます。豊臣家の栄華を感じさせる重厚な空気──なかなかの迫力です。かつて“太閤さん”と親しまれた秀吉公の神霊が静かに佇むこの地、思わず背筋が伸びました。

こちらが国宝・唐門。訪れた日はうっすらと雪が残っており、静けさと荘厳さが共存する美しさ。黒と金の装飾が目を引き、絢爛な時代の名残を感じます。正月三が日には門が開かれ、奥まで入ることができるそうです。

門には「国家安康・君臣豊楽」の文字。これが、徳川家康を激怒させたとされる有名な一件です。「家康」の名を二分したように読めることから、「不敬である」として、大坂の陣の火種になったとも言われます。
ただの祝詞とも取れるこの言葉に、なぜここまで反応したのか──そこには、豊臣家の影を恐れた家康の執念や、時代の不安定さが見え隠れします。歴史とは、文字一つで運命を大きく左右してしまうこともあるのですね。

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参拝を終え、次も徒歩で「市比賣神社」へ向かいます。道中には、少し立ち止まって見ておきたいスポットもあります。
耳塚

豊国神社を出てすぐ西側に現れるのが「耳塚」。

ここは、秀吉の朝鮮出兵の際、戦果の証として耳や鼻を削いで持ち帰らせたものを埋葬した場所とされます。その数、20,000とも30,000とも。人間の「数」ではなく「部位」で数えられる非情さが、戦争の悲惨さを物語っています。
「耳」という字が“耳+又(手)”と書かれるのも、もともとは「取る」ことを意味していたとされ、そうした文化的背景も説明されています。敵味方の区別なく、供養の場として祀られているこの場所──現代に生きる私たちに、戦いの虚しさと供養の大切さを静かに語りかけてくるようです。
アクセス情報
名称 | 豊国神社 |
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住所 | 〒605-0931 京都市東山区大和大路正面茶屋町 |
電話番号 | 075-561-3802 |
交通 | 京阪「七条駅」より徒歩7分 市バス「博物館三十三間堂前」より徒歩4分(86,88,100,106,110,206,208系統) |
駐車場 | 参拝者は無料 |
拝観料 | 無料 |
公式サイト | 無し |
関連リンク
▶ 京都十六社朱印めぐり 公式サイト
▶ 京都十六社朱印めぐり⑤「新熊野神社」から
▶ 京都十六社朱印めぐり⑦「市比賣神社」へ
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