京都市南区の区境を探検しよう。その2からの続きで今日は夕方から走って約2.5km程まわってきました。全体では6km程走りました。
スタートは前回と同じく京都駅八条口からスタートして西大路駅へ向かってみます。
ここから西へ向かいます。
JR京都駅から大体線路沿いに1km程来た所です。わかりにくですがJR貨物の桃太郎です。金太郎って名前の貨物もあるらしいけれど関西には走ってないのかな?鉄道には明るくないのでよくわかりません。
JRの線路を更に西に進んでいくと「兒水不動明王(ちごすいふどうみょうおう)」に突き当たります。
つつじが綺麗に咲いてます、今年は少し早く咲いているように感じてます。
兒水不動明王
兒水不動明王。不動明王の脇から清水が湧き出し「兒の水(ちごのみず)」と呼ばれています。鎌倉幕府の将軍であった源実朝が暗殺された後、源実朝の妻、本覚尼が夫の菩提を弔うために建立した遍照心院(大通寺)の門前にあったもので「尼寺の水」とも呼ばれています。眼病に霊験があるといわれています。
現在の大通寺は九条大宮を100m程下がった東側にあります。
グーグルマップにも表示されません。この道の前を何百回通ったかわからないですが、普通のお地蔵さんと思ってました。新しい発見がありました。
狐塚墓地
狐塚(きつねづか)は幕末維新の「都城六勇士」の墓です。
都城六勇士殉難記命碑から引用させていただきました。
(引用)
都城郷(現宮崎県)から上京した薩摩藩兵が大政奉還後伏見を警衛していたところ,慶応3年12月21日(1868年1月15日)夜,大峰兼武・横山貞明・坂元正備・野邊盛次・安藤利次・内藤利徳の6名の兵士が斥候に出て徳川方の兵と遭遇。闘争を避けて本隊へ帰って敵情を報告したところ,都城隊は東寺へ陣を移すように命じられた。これを戦闘を避けたことに対する処罰だと解した6名は26日に東寺執行阿刀慶増宅で切腹した。6名の死を憐れんだ阿刀氏により狐塚墓地に葬られた。阿刀慶増も跡を追うように切腹し,その傷がもとでほどなく死去した。6名の兵士と阿刀氏の墓石のかたわらにこの碑が建立され,6名の事跡を顕彰している。
(ここまで)
ここもまた新しい発見がありましたし、ここはまた掘り下げていきたいと思います。
でまた、ここもグーグルマップで表示されていないです。
途中、家の敷地内に線路みたいなのが作られている家がありましたが、写真は止めときます。
御前通です。片側通行しか出来ません、歩道も狭いですし、自転車どうしとかすれ違うの大変です。本当にこの道何とかなりませんか?
おそらくこの辺りが区境です。新幹線の耐震工事が数年前に行われていたので柱は綺麗ですが、なぜか駐輪場のように使えるようになっています。いいんかい、これで?
西大路駅駅前です、この辺りちょっと区境がカクカクとしているので、今日はこの駅前で終了します。
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